正義であることと、その影響を受けるもの

 高須クリニックの高須院長が、フジテレビCMをめぐり自身のXを更新。話題を呼んでいます。
大手スポンサー各社が次々とフジテレビへのCM提供を取りやめしている中、高須院長は「僕は、風評に揺れ動く世間の目を気にしてフジテレビから離れるスポンサーにはなりたくありません」「真実が明らかになるまでフジテレビのCMは変えません」として、CMは従来通り提供し真相解明を待つとした対応をとられています。

この発言に対して、当然に賛否両論あるかと思いますが、私はこの話題に触れたとき、ふと、テレビ東京の「テレ東伝説」を思い出しました。テレビ東京は、民放放送局としてアニメの放送が多い放送局としても有名ですが、重大事件や事故が起こっても特番や中継を挟んだりせずアニメを放映し続けるという、テレビ東京特有の事象のことを視聴者の間でささやかれるようになったのが「テレ東伝説」です。地震や災害の時の緊急放送はメディアが果たす最大といっても過言ではない使命のひとつです。これはだれも疑う余地もない事実ですが、その一方で、避難所や損壊を辛うじて免れた居場所で過ごす多くの子供たちは、そのような映像ばかりでは心のメンテナンスも後回しになってしまう恐れも生じかねません。このテレ東伝説と重ね合わせてみると、今回の高須院長の対応というのは、こんな大災害時にどうしてこんな放送を流すんだというような世論に対して、毅然とした態度で自分の意思を貫き通す気概の強さは半端なものではなく、一本の太い大木のような存在を感じ、震災時のアニメ放送対応のそれとかぶってしまったのです。他は他、私は続ける! じつに粋な対応だと思います。

その意味で私は、世の中すべてがひと固まりになって同じ対応をする。或いは、一団となって総攻撃するというのはあまり好きではありません。私の経験上、その結果はいずれみんなに返ってくる問題のような気がしてならないからです。

無関係の私からみて、今回のフジのCM対応に関してフジテレビを擁護するつもりはなく、後述することがあてはまるかどうかは別として、例えば世の中で行われる制裁的な対応や世論に押されてなされる様々な対応について述べさせて頂くとすれば、攻撃している人は正論や世論の後押しもあり、その攻撃も正義としての実践と思われるかもしれませんが、その攻撃が闇雲で度を越したものである場合や、不必要に繰り返されるような場合においては、結果的に何等かの不都合な現象となって自分や何の関係もない人々達に返ってくるような気がするのです。

何らの関係もない私ですが、今回の高須院長の発言にはある意味救われた思いがしました。