事務管理

 民法に「事務管理」に関する定めがあります。

事務管理とは、良い例えで言えば「善意ある行動」、悪い例えで言えば「おせっかい」ということになります。善意ある行動やおせっかいなどの行動に関しては、原則としてこの規定が適用されるということになります。


千と千尋の神隠しのストーリーの中で、薬湯を調合する仕事をしている「ひげじい」が、ススワタリを助けようとする「千」に対し、「手ぇ出すんならしまいまでやれ!」と怒鳴るシーンがあったと思いますが、まさしくそのようなシーンが事務管理の解釈をする上で参考になると思います。

手を貸せば責任がある関係人になり、手を出さなければただの傍観者や無関係の人ということになります。

(事務管理)
第六百九十七条 義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において「管理者」という。)は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理(以下「事務管理」という。)をしなければならない。
2 管理者は、本人の意思を知っているとき、又はこれを推知することができるときは、その意思に従って事務管理をしなければならない。
(緊急事務管理)
第六百九十八条 管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。
(管理者の通知義務)
第六百九十九条 管理者は、事務管理を始めたことを遅滞なく本人に通知しなければならない。ただし、本人が既にこれを知っているときは、この限りでない。
(管理者による事務管理の継続)
第七百条 管理者は、本人又はその相続人若しくは法定代理人が管理をすることができるに至るまで、事務管理を継続しなければならない。ただし、事務管理の継続が本人の意思に反し、又は本人に不利であることが明らかであるときはこの限りでない。

民法第697条~第700条を抜粋して掲載

さて、事務管理の解釈を念頭に、勇気ある人の善意ある行動により救われた方が世の中にどれほどおられるかという事を想像すると、とても温かい気持ちになりますが、残念ながら私自身を含め関わり合いにならないという選択をする人が多いのも事実かもしれません。
「見て見ぬふり」は傍観者や無関係の人にあてはまりますが、この「見て見ぬふり」が後に世の中に与える影響がとてつもなく大きくなるケースが最近多くなっているように思います。なぜこんなことになるまで放って置いたのか?、まさかこんなことになるなんて!というのはよく聞く話しですね。

そんな時に、よくある管理責任者などの言い訳の一つとして、「コンプライアンスに沿って適切に対応しています。」などの説明を耳にすることが多いですが、この説明だけでは、自己防衛策を適切にとっていますというふうにしか聞こえてこないのです。やれることは全てやっているので、何かあっても自分には責任がない。という考え方です。何か不都合な現象があれば適切に放置せず対応します。という意思が後ろに隠れてしまっているように聞こえるのです。


このように、何かあった時に備え自己の責任を逃れるためにあらゆる対策をする傾向が強い世の中となっており、自己防衛へ重きを置く比重と、善意ある行動の支援へ重きを置く比重の偏りによる弊害として、現在のような数々の不祥事が世間を騒がす結果となって表れているという気がしてならないのです。
そしてその歪みは、見て見ぬふりをする大衆の多くが、自己に直接関係のない事象を一斉に叩くという行動に走る傾向が強い世の中となって表れているのではないでしょうか。現世で暮らす人間の生きにくさと正体の見えないフラストレーションに包まれた世界を如実に表している現象とも捉えることができます。

今日は、事務管理という民法上のテーマから、今感じることを記しました。私は、善意ある行動をする人に義務を課すこの事務管理に関する条文そのものはあまり好きになれないのですが、一定の基準がなければならないためやむを得ないことは理解できますので、「ひげじい」のいうセリフも大事な要素であることからそれを受け入れる努力をするように心がけています。

最後に、勇気ある行動をする人とそれを支援する人が、より力を十分に発揮できるような世の中になるよう願っています。そして、現代の正体の見えないフラストレーションに包まれた世界が、透き通った青空のごとく晴れ渡る世界に少しでも近づくよう祈っています。

行政書士中川まさあき事務所