管理面が強くなりすぎた社会で、私たちはどこへ向かうのか
例えとしてふさわしいかどうかは別として、経営の現場では、売上が落ち込めば管理部門が力を持ち、逆に売上が伸びている時には営業部門の声が強くなる——。これは企業で働いた経験のある方なら、きっと一度は実感したことがあるのではないでしょうか。
ただ、私はここ最近、この「管理面が強くなる状態」が、企業の中だけでなく社会全体に拡大しているように感じています。そしてその流れに、どうにも腑に落ちない違和感を覚えるのです。
1. 企業と社会に共通する「管理が強くなる」現象
企業の世界では、売上が落ち込む局面になると、自然と管理部門の力が強まり、経費削減や統制が重視されます。一方で、売上が伸びて勢いのある時期には、営業部門が主導権を握り、現場のスピード感が組織を引っ張っていきます。
これは「企業の自然なリズム」のようなもので、ある意味では当然の現象と言えます。しかし最近、この構図が企業内にとどまらず、社会全体にも広がっているように感じる場面が増えています。
2. 義務ばかりが増え、説明責任を求められる息苦しさ
悪いことをしているわけでもないのに義務が増え、負担が増え、説明責任が求められる。本業より管理面の作業が大きな負担となり、日常の何気ない行動にまでルールが入り込む。そんな“息苦しさ”を抱えている人が、多くなっているのではないでしょうか。
3. アクセルとブレーキ——必要なのはバランスと“あそび”
もちろん、アクセルもブレーキも必要です。どちらかが欠ければ、組織も社会も危ういバランスの上に立つことになります。しかし、どちらかを踏みすぎると、やはり動きは止まり、柔軟さが失われてしまう。そして、本来大切にすべき“あそび”がなくなると、人も社会も疲弊していくのです。
4. 弱者を守るはずが、弱者を苦しめる結果になる矛盾
責任を負いたくないがために、各部門や担当者が「保身としての管理」を強めてしまうと、制度やルールのしわ寄せが立場の弱い人たちへ集中します。本来は弱者を守るための仕組みだったはずなのに、結果として弱者を苦しめてしまうという矛盾が生まれてしまうのです。
5. 「~しなければならない」から「~してもよい」へ
本来、「○○してもよい」「○○することができる」と柔らかく設計されていた制度が、いつのまにか「○○しなければならない」と義務へと姿を変えてしまう。そして、それが“正義の名のもとに”受け入れられてしまう。この変化こそが、人々に気づかぬうちに息苦しさを与えているのだと思います。
私はむしろ、その逆——「しなければならない」ではなく、「してもよい」「できる」という選択の幅を取り戻す社会になってほしいと願っています。
6. 不合理を前にしても心をすり減らさないために
どの時代にも矛盾や不合理は存在します。そしてそれらに心を奪われず、必要以上にストレスを抱え込まないための“受け流す力”も、これからの時代に求められる大切な能力のひとつでしょう。
■おわりに
私たちは、これからも荒波の中を進み続けなければなりません。しかし、その中でも「大切なものを見失わない視点」さえ持っていれば、社会がどれだけ複雑になっても、私たちはきっと前へ進んでいける。私はそう信じています。
